親子関係
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心の毒をここで吐き出すつもり。
だから、明るいハワイネタなどを求めてお越し下さった方は避難されることをお勧めします( ^_^)/
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外出先で、子どもに当たり散らしている親の姿を見ると、自分の母や父の姿と重なって、わなわなと怒りがこみ上げてきてしまうことがある。
そして、子どもの様子に自分の幼い頃の気持ちを重ね合わせてしまい、涙が溢れそうになることもある。
親は子に無償の愛を与える、なんていうけれど、私が今まで経験した範囲内での思いは、無償の愛を与えているのはむしろ子どものほうだと思う。
親からどんなに暴言を吐かれても、気持ちを踏みにじられても、それでもおとうさん、おかあさん、と慕って、したがって、ついていこうと必死だ。
もし自分が今子どもに対してやっているようなことを、夫からまたは妻からされたらどんな気持ちがする?相手が友人だったら、同じことできないでしょう?あり得ないでしょう?許せないでしょう?でも、相手が自分の子だからそんな酷い仕打ちができちゃうんだよね。そんなひどい親でも幼い子どもにとっては大事な大事な親だから、子が親を見捨てることはないもんね。
今私は、父とも母ともあまり連絡を取り合っていない。
両親は親不孝な娘だと思っているかもしれない。
その事で、自分で自分を責めたこともある。
だけれど、最近は、私はすでに充分に親孝行したんじゃないかと思えるようになってきた。
小さな子どもには受け止めきれないほどのプレッシャーを受け止めようと、必死で頑張ったのだ。
暴言を吐かれ、怒鳴り散らされ、バカにされ、恥をかかされ、愚痴を聞かされ、八つ当たりされ、張り詰めた緊迫感の中で平気なフリをさせられ、共感してもらえず、慰めてもらえず、押し付けられ、否定され、それでも、お父さん、お母さん、と慕って、したがって、ついていったのだ。
私が小さい頃、母はよく「お前は木で鼻をくくったようなやつだよ!」と怒鳴った。子どものわたしに言葉の意味はわからなかったが、母の様子から、いい意味でないことは明らかだった。また「お前はなぁ、おやじにそっくりなんだよ!」と怒鳴られたこともある。普段から母が父をなじる様子を見ているし、母が父の事を愚痴るのをさんざん聞いているので、ものすごい怒りと憎しみが込められている事は明らかだった。
父はよく、母をヒステリー呼ばわりしていたが、子どもだった私は、母がそのように感情的になって自分の心を何度もグサッと傷つけていても、それでも尚、ヒステリー呼ばわりするなんてお母さんが可哀想…などと思っていたのだ。
私はもう充分やった。
自分の心が耐えられる限界までがんばった。
正直いってまだ、そう思い切れてはいないけど、そんな考えを持てるようになったのは、大きな一歩だと思う。
これからは、自分のために生きていきたい。
自分のしあわせのために、自分と夫のしあわせのために、生きていくんだ。
だから「私はよくやった、それでいいんだよ」と、私は私に語りかける。
親と楽に接することができるようになりたいと思っていたこともある。
今でもそんな考えがチラリとよぎることがある。
でもそれを目指すことない。
親が望む状態になることや、世間一般でいいと言われる状態になることが、私の目標・私の幸せ、というわけじゃないと気づいたから。
親には親の問題があり、子がそれを肩代わりすることはできない。
親が私を親不孝者だと責めていたとしても、自分まで自分を親不孝だと責めることはない。
「どうして自分を責めるんですか??必要な時は他人が責めてくれるんだから、いいじゃないですか。」~アルベルト・アインシュタイン